IGIA会長 田中文雄

会長ご挨拶Profile

PGAプロであり当協会 会長のご挨拶

我々IGIAは3歳から90歳を超えても多くの人がゴルフに参加できるフィールドをつくりたいと思っております。
一般社団法人国際ゴルフインストラクター協会は、簡単に言うとゴルファーを増やすために優秀なインストラクターを育て世に送り出すということです。 その活動を世界に広げていければと考えています。

また、一般社団法人日本エイジシュートチャレンジ協会はエージシュートを達成したゴルファーを認定し、讃える協会でシニアゴルファーの皆さんにエージシュートの素晴らしさを普及させ、エージシュートを目指す機会を与える協会です。

トータルゴルフ事業サービスを目指すゴルレボグループの中で、4つのコース管理やスタッフ教育等の業務を担当する傍ら、PGAのグランドシニア競技に参戦し、IGIAの会長を務めさらには日本エイジシュートチャレンジ協会の活動にも精力的に活動しております。
ゴルフの素晴らしさ、健康で楽しいゴルフを多くの人に伝えていき、一日でも永くゴルフを続けられるために、ゴルフ環境の改善とサポート活動を行ってまいります。

プロフィール

IGIA(一般社団法人国際ゴルフインストラクター協会) 会長
PGA(社団法人日本プロゴルフ協会)所属プロ
   

かつて男子ツアー界に「七人の侍」と呼ばれる選手たちがいたのをご存知だろうか・・・
ちょうど太平洋戦争が終わるか終わらないかの時代に産声を上げた、杉本英世、河野高明らの和製ビッグ3の時代を担う選手たち7人をそう呼ぶ時代があったのだ。

青木功、新井規矩雄、鷹巣南雄、金井清一らとともに、その7人に数えられていたのが "赤鬼・文ちゃん" こと田中文雄プロである。
赤鬼とは、試合中に自分の思い通りのゴルフができなくなると、自分に対して腹を立って顔がすぐ赤くなる。 そんな姿がいつしか周りからそうよばれるようになったのが所以である。

10代でノンプロ野球のピッチャーとして活躍したが、肩を壊して野球生活に終止符を打った。 そして始めたゴルフ。
神奈川・保土ヶ谷CCで小野光一を師とし、プロを目指した。 小野と言えば中村寅吉と組んでカナダカップで団体優勝を果たした、あの小野である。
持ち合わせていたセンスに小野の厳しい指導が加わり、69年にプロテストに合格する。 そして七人の侍と呼ばれるまでの選手となり、歯に衣着せぬ物言いの豪放磊落な正確と飛ばしの魅力、歯切れのよいプレーで人気者のひとりとなった。

73年プロ初優勝。 レイモンド・フロイド、ミラー・バーバーら当時の米ツアーのトッププロも出場していた試合での優勝だっただけに、その後の活躍も大いに期待された。 しかし、同年の日本プロゴルフ選手権で右足の親指付け根を複雑骨折。
因果なもので、当時売出し中の尾崎将司をも凌駕する、飛距離を生み出す強烈な右足の"ケリ"がもたらしたもので、トッププロとしての生活は長くは続かなかった。

体が資本のプロゴルファー。 それからの田中プロは、独特の "スパルタレッスン" で生計を立て96年のシニア入りを機に再びシニアツアーで戦うようになった。 一方で、芝の種類や育成方法、土地の造成方法などを独学で学び、60歳の声を聞いたころからは、コース改造のほか、プロゴルファーとしての知識を活かしたゴルフ場経営に携わり、73歳を迎えた現在は、ゴルレボグループの中で4コースの管理やスタッフ教育等の業務を担当する傍ら、国際ゴルフインストラクター協会会長を務め、さらには一般社団法人日本エイジシュートチャレンジ協会の活動にも勢力的に活動している。